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親としての在り方 ・・ by 泉

ともに乗り越えて行く

こんにちは、泉です。
前回の記事(→「娘の登校しぶり」)では、当時、小学校3年生になったタイミングで転校した私の娘が、3ヶ月後に登校しぶりになった事を、伊藤先生にご相談した事を紹介しました。今日はその際に、先生が親としての在り方や子供と対する時のスタンスについてお話し下さった、とても大きく私の心に残っていることを書きたいと思います。

先生は、私と一緒の登校に慣れてきた娘に対して、私が「今日は一人で行ってね」と、突き放すエネルギーで伝えたことを、それは良くないねと仰り、そこから更に、先生のお母様のエピソードをお話し下さいました。

「小さい頃に母が私と遊んでくれた時、嫌な顔をしたとか、もういい加減終わろうよというような空気を感じたことがないという話を数年前に私がした時、それを聞いたほとんどの人が、お母さんと遊んでいても、まだやるの? といううんざりした空気を感じていたと言った。お母さんは無理して遊んでくれている、お父さんは無理してどこかへ連れて行ってくれているみたいなことを、子供がずっと肌で感じながら、親に遠慮したり顔色を伺ったりして、あ、そろそろ止めなきゃいけないのかなとか、自分ってお母さんにとってうざい存在なんだと、そういう気持ちが子供の心に幾重にも蓄積されてきているんだってことが、それぞれの話しから明るみに出たことがあったんです。
私は思春期には荒れに荒れたし、最終的に母親と絶縁したくらいだからとても苦しい思いもしたけれど、幼少期に両親が私のことを何よりも優先にして大切に育ててくれたベースがあったからこそ、今の私があるのだと思います」


と話されたあと、先生は私にこう仰いました。

「そういう意味でいうとあなたのアプローチは、『イヤイヤ遊んでくれているお母さん』と一緒なのよ。私が小学生のころ、鉄棒の逆上がりがなかなか出来なかった時に、当時ラーメン屋を営んでいた母が、店を閉めた後の夜8時半とか9時とかに私と一緒に学校まで暗闇のなか歩いていって、誰もいない夜中の校庭で、何度も何度も母が私の足を持ち上げてくれて、ひとりで逆上がりが出来るようになるまで一緒に通ってくれたことがあった。そういう時も母は嫌な顔などしたことはなく、娘と一緒に楽しみながら頑張ってるって感じでした。
うちの母からは、私が一人っ子だったから、とにかく自分が私にとって姉妹やお友達のような存在であるべきだと思って私を育てたという話を何度か聞かされましたね。オセロとかトランプとか、新しいおもちゃを買って来て組み立てるとか、何かを始める時には何でも一緒にやってくれたんだけれど、いつでも私と同じくらい楽しそうだった。
多分そういうときは、母のチャイルド人格が出ていて、私の2歳差くらいの姉妹か同じ年のお友達感覚で、自然とやれていたんだろうね。子育てをするときに、母親として一番大事なことだと思います。
そう思うと今のあなたは、娘と一緒にこの試練を乗り越えようっていうスタンスじゃないよね。付き合ってはあげるけど、ママだって忙しいんだから早く自分でできるようになってよね、っていうスタンス。出来る範囲でやってあげる、でもちょっと今日は勘弁して欲しい、みたいなスタンスなのよ。それを娘は日々、あなたのそういう思いをエネルギーとして浴びている。そういう経験を繰り返しすることによって、子供のハートは純度を落としていくんです」


こうお伝え頂いた私は、先生の幼少期と当時のお母様の姿が目に浮かぶようで、心の底から、「私もそうして欲しかった、とても羨ましい」という気持ちが湧いていてくるのを感じ、自分の幼少期のことを思い出しました。

私の実家は自営業を営んでいたため、母はいつも忙しく働いていました。それが理由にはなりませんが、母と一緒に遊んでもらったという記憶がほとんどありません。母は、おもちゃを買ってくれたり、勉強する環境を整えてはくれました。でも私には、母が一緒に何かをしてくれたというより、自分で遊んでね、一人でお勉強してね、お姉ちゃんと遊んでねと、「自分で」「自分達で出来るよね」と、距離のある場所から、物質的な物だけが与えられていた感覚が、寂しさとともに残っています。私は、自分がされて寂しかったのに、いま娘に同じ事をしてしまっているのだという事に気が付きました。

また、私がうつ病になったことはこちらで何度かお伝えしていますが(→「伊藤先生との出会い」「他人軸から自分軸への転換」)、病気になった私に対する当時の母の対応も、その延長線上でした。体調を崩したきっかけを「仕事のストレス」「食生活の乱れ」「環境や何かのせい」等、核心からそれた事柄に原因を見出そうとする母の姿に、「そうじゃないのに」と、私の心は固まるだけでした。
当時の母なりの精一杯だったのかもしれませんし、病院でお会いする患者さんの親御さんにも同様の反応をする方がいらっしゃいます。しかし私は当時、もっと共に辛さを感じて欲しかったし、気持ちに寄り添って欲しかったし、共に乗り越えようとして欲しかったのだという思いが、年月を超えて湧き出てくるのを感じました。

自分がそうされて寂しかったのに、同じことを娘に向けてしまっている事に気付いた私は、「自分の在り方を改めたい。娘にとって、苦労や困難を共に乗り越えていくような、愛情をもった母親でありたい」と、先生のお話しを伺いながら、強くそう思ったのでした。

次の記事では、先生に示して頂いた具体的な娘への接し方と、その後の私の行動の変化によって娘が学校にスムーズに行けるようになるまでの経過について、お伝えしたいと思います。

佐藤 泉
by 泉 | Comments(-)

娘の登校しぶり・・by 泉

「学校に行きたくない」と言われた時に

こんにちは、泉です。新型コロナウイルスの第二波が騒がれる最中ですが、九州地域等の豪雨被害もありました。ウイルスも異常気象も、私達人間の在り方によって自然界に負担がかかり、バランスを崩した結果だと思います。改めて、ひとりひとりの在り方を見つめ直す必要性を感じています。

前回の記事では、先生がコース生の彩さんにされた子育てのお話しをご紹介しましたが、今回も子育ての話題です。
私は去年の6月に、娘の「登校しぶり」でとても悩みました。その時に伊藤先生にご相談をして教えて頂いたことから現実が大きく動き、10月からはスムーズに登校出来るようになりました。そして4年生になった今では、元気いっぱいに学校に通うことが出来ています。  

   登校

最近の登校場面です。今では遅刻ギリギリに慌てて出かける事が多いです。

私の娘は3年生の春に現在の小学校に転校しました。最初は新しい環境に慣れようと頑張っていて、一見順調でした。でも、6月のある日突然、「学校に行きたくない」と言い出したのです。

その日娘は、夕食を食べる表情が明らかに暗く、ぽつりと「学校に行きたくない」とつぶやきました。私は心配になって根掘り葉掘り理由を聞いたのですが、特に何かのトラブルが起きている様子はありません。話しているうちに、娘の目からは大粒の涙がこぼれ落ち、「分からない、分からない。とにかく学校が嫌だ!」と、わんわん泣き出してしまったのです。
そして娘は、「ママ、心細いから明日から一緒について来て」と言いました。こうして私は翌朝から、娘と一緒に登校することにしたのです。自宅から5分ほどの所に集合場所があり、近所の子達が集まって一列になって登校していますが、私も、しくしく泣く娘と手を繋いで班の列に交じり、歩いて学校まで行く事が日課になりました。
その生活は1か月を超え、2か月となり、徐々に娘は泣かなくなってきて、お友達と喋ったりしながら登校が出来るようになっていきました。でも、私の手をぎゅっと握って離さず、「学校まで一緒に来て欲しい」という訴えは変わりませんでした。

この頃の私は、朝の登校が徐々にしんどくなってきていました。娘はもう泣かないし、下校も普通に帰ってくる。そろそろ大丈夫じゃない? と思うようになっていました。
毎朝、「今日は大丈夫でしょ? 一人で行ってね」と伝えてみたり、一緒に歩きながら「もうこの辺りでママ帰っても良いかな? 仕事に遅れちゃうよ」などと言ってみても、娘は決まって「ダメ!」と言って私の手を放してくれませんでした。
そんな娘の様子に私は、娘を甘やかしてしまっているのでは? 今は親として、毅然と背中を押すべきタイミングなんじゃないか? 一体どうやって娘の背中を押して励ましたら良いのだろう? と悩むようになったのです。

その頃に参加させて頂いたライブセミナーで私は、伊藤先生に娘の状況を説明し、「どうやったら娘の背中を押す事が出来るのでしょうか?」と質問させて頂きました。すると先生は、開口一番、こうお話しされました。

「あなたのその、『今日は一人で行ってね』っていうのは良くないね。そうやって突き放せば突き放すほど長引かせるよ。私だったら、『今日は一人で行ける?』って聞く。『今日は一人で行けそう?』って。このエネルギーの違い、分かる?」

とにかく娘の背中を押すべき、と思っていた私でしたが、先生が仰る言葉と自分の言っていたことのエネルギーが全く違うことに気付いて、食い入るように先生のお話しを聞いていました。
そのあとに先生は、ご自身が過去に職場を変えた際には、決まってストレスによって体調不良になった事をお話し下さり、3か月頃はちょうどストレスが来る時期というイメージがあると仰いました。また先生は、娘の場合、特にトラブルがあるわけではないなら、見守っておけば大丈夫ではないかと思いますよ、とも仰って下さいました。

それを聞きながら私は、精神科の外来でも、環境が変わって2~3か月頃に体調を崩して受診し、適応障害などになっている患者さんが多いことを思い出しました。精神科医という職業柄、そのような状態を良く知っているにも関わらず、娘の様子に動揺したり自分が大変になって来てしまい、娘の状況を客観的に見て、娘の気持ちを想像してあげることが出来なくなっていたのだと気付きました。娘に対する申し訳なさと同時に、ほっと、体の芯が緩むような感覚がしてきました。

続けて先生は、その時の娘に起きていることを、こんなふうに丁寧に紐解いて、説明して下さったのでした。

「本人も、何が辛いのかきっとわかっていないと思うよ。大人でさえも、社会人になって新しい職場、新しい環境になった時に、漠然とうつっぽいとか、眠れないとか、倦怠感みたいな感じしか分からない。カウンセラーによって自分の気持ちをひとつずつ導き出してもらってみて初めて分かる。大人でもそうなのだから、子供であればもっとモヤーッとするはず。
『自分の中で何が起こっているのか』は、理屈。思考で一生懸命紐解いていって、文章にして、ああなるほど、私の中でこんなことが起きているのかってするのは『分析』じゃない?
そういう事は、感情のままに生きている子供には出来ないのよ。でも、子供なりの本能的な順応性はある。人って基本的に誰もが人の中で生きたいものだから。人間っていうのはそういう生き物、一人で生きていくことなどできない生き物なんです。貴方の娘のように感情で生きている正常な子だとしたら、もうあと何か月かすれば自然と新しい環境に馴染んでいくでしょう。
ただ、聞いていて問題だと思うのは、貴方が子供のメンタルが不安定な時期に、そうやって突き放すような言い方をすることで、子供は『自分には味方がいない、誰も分かってくれない』という気持ちになるよね。そういう時は、娘の気が済むところまでとことん付き合ってあげることです」


とお話し頂いたのです。私は、背中を押すつもりが娘を突き放して、そんな気持ちにさせてしまっていたんだ、かえって長引かせるような真逆なことをしていたんだと唖然として、心底納得しました。そして、すぐに腹を括る気持ちになりました。娘自身が「もう大丈夫」となるまで、とことん付き合おうと思ったのです。
先生のお話しをお聞きするまでは、どうやって娘の背中を押そうかと悩んでいたのに、お話しを伺った後には、まったく逆の決心をすることになったのでした。

続けて先生は、親として子供と向き合う時のとても大切なスタンスについてお話しをして下さいました。そこではまた、私自身が全く出来ていないことを痛感する事になったのですが、そのことについては、また次の記事でご紹介したいと思います。

佐藤 泉
by 泉 | Comments(-)

親の役割 VOL.2 ・・ by 泉

子供の人生の“追い風”になる

こんにちは、泉です。
前回の記事(親の役割 VOL.1)では、コース生の彩さんが、子育てのなかで娘さんと自分を同一化してきてしまった自分の在り方について、先生にご相談した事をお伝えました。今日は、そこからさらに先生がお話し下さって、私の心の真ん中に強く響いたことを書いていきたいと思います。

先生は彩さんに、「子供に色々な経験をさせて子供の可能性を引き出してあげたいと、そこで止まっておけばいい。そこにブレーキがきかずに『自分のリベンジのために』 という余計な想いを乗せてしまうから、あなたは過干渉になっているんだよね。そこを自分でコントロールしていくことが、あなた自身が人として親として成長していくことだし、娘の人生が本当に輝く方向に向かうように、背中を押してあげることになる」 と仰って、彩さんは先生をじっと見つめながら、全身でこのお話しを受け止めていました。

続けて先生が、彩さんを諭すように仰ったことは、私自身も親として本当にこう在りたいと心に刻まれるお話しでした。

「親というのは本来、追い風になるべき存在なんですよね。子供の人生の前に立って、誘導しちゃだめなのね。子供が自然と自分の道を歩んでいく『後ろ』にいるべきなのよ。お金を出したり、習い事をさせたりしてそこに可能性という名の道を作ったとしても、どの道を行くかは子供が決めることだから。もちろん、出来ないことが出来るようになるまで、手取り足取り子供に寄り添うことは大事だけれど、ある時点でパッと手を離してやる。子供が自分の意思で方向性を決めた時に、後ろから行っておいでと言ってやれる、その立ち位置を意識しないとね」

親が、子供の追い風になる。この言葉を伺った時、私には衝撃が走りました。
彩さんも他の参加者も、深く聞き入り大きく頷く姿が見られました。

私はこれまで子供にとっての応援団でいたいといつも思って来ましたが、追い風になる、ということは、ただ後ろで温かく見守るだけでなく、子供が道を決めた時にどっしりと後ろに立ち背中を押すという、より強く腹が据わった親のイメージが湧きました。残りの子育て期間はずっと、子供たちの人生の追い風になれる親でありたい、そう思ったのです。
  
  DSC_0392.jpg

こちらは、昨年の小学校の運動会での娘です。

私は、長女が生まれた9年前に伊藤先生から「子供は親の所有物ではなく、預かりものです」と教えて頂いたことを、常に頭の片隅に置きながら子育てをして来ました。
その後、子育てには何度も何度も行き詰まって来ましたが、その度に子供に対して「この子は預かりものなんだ」と思うことで、気持ちがすっと楽になったり肩の力が抜けたりして、とても救われる思いをして来た実感があります。

ですが私の親との関係や、精神科医として患者さんと関わる中では、親が良かれと思っていても、結果的に本人の気持ちを無視する事になっていたり、親の願望や叶わなかった夢を託してレールを敷いてしまう事がとても多いと感じてきました。
本当は、子供には子供の意思があり、好き嫌いがあり、向き不向きもあり、人生の選択肢があること、親の立ち位置は「後ろ」であることを、忘れてはいけないのだと思います。

「子供を預かりものとして育てる」こと、「子供の人生の追い風になる」こと。先生が教えて下さる親の在り方を思うと、私はあまりに未熟です。でも、一ミリずつでもそんな姿に近付けるように、これからも学びを続けていこうと思っています。

このように伊藤先生は、親子関係や子育てに関して、様々な角度から本当にたくさんの事をご指導下さいます。私自身が、壁にぶつかった時にご指導を頂きながら乗り越えてきたエピソードも交えて、今後もこちらで紹介させて頂きたいと思っています。

佐藤 泉
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親の役割 VOL.1 ・・ by 泉

“経験”というギフト

こんにちは、泉です。梅雨入りが宣言されましたね。
新型コロナウイルスの影響による様々な現実に向き合っている最中にも、季節は確実に巡っていくことを感じています。

今日は、子育てについての話題をご紹介したいと思います。
現在私は母親になって9年目ですが、長女が生まれた頃は、娘の事が可愛いと思えない事があったり、どう接したらよいのか全く分からなくて悩んだりと、壁にぶつかることの連続でした。
その都度、伊藤先生に子育てについての様々な質問をさせて頂いて、先生は様々な角度から、親子関係についてたくさんのご指導を下さって来ました。
そのお陰で現在では、母親としてずいぶんたくましく成長させて頂きました。もちろん今も試行錯誤の毎日なのですが、子供達から与えられる喜びの大きさに、日々支えられています。

先月の伊藤先生のグループセッションでは、コース生の「彩さん」が中学生の娘さんについてご相談をしました。そこで先生がご指導されたことがとても強く私の心に残っており、そのことについて、ご紹介したいと思います。

彩さんは、中学生になる娘さんと旦那さんとの3人暮らしです。
彩さんは以前、旦那さんの言動にどうしてもイラっとしてしまい、不満を爆発させることが止められない事に悩んでいましたが、先生はそんな彩さんに、問題は相手ではなく彩さん自身にあるということをご指摘され、彩さんはそこから時間をかけて自分に向き合ってきました。
彩さんは、自分の問題を棚上げして相手を責めていた自分の悪妻ぶりを直視することで、それでもずっと共にいてくれた旦那さんへの感謝や愛情が湧いて、大きく意識が変わりました。そして、旦那さんに対して心から謝罪をし、夫婦でお互いの本心を伝えあうような、今までにない温かい気持ちを育める関係性に、変容を遂げてきました。

そんな彩さんは、中学生の娘さんととても仲良しです。ですが、そろそろ娘さんが親離れしていく時期に入っているにも関わらず、一向に子離れが出来ない、という新たな課題が浮上しています。子供に依存してしまう自分の在り方を変えたいと、先生にご相談しながら努力している最中です。

彩さんはグループセッションのなかで、娘さんと自分自身を同一化してしまいがちだという事を先生にお伝えしました。そして娘さんの習い事に関して、その傾向が如実に表れていたのです。

「娘には、小さい頃から様々な習い事をさせて来ました。娘が何かを達成すると、あたかも自分自身が達成したかのような感覚になっていたんです」と話す彩さん。
彩さん自身は3月生まれだったこともあり、幼少期は周囲に付いていくのに必死だったため、自己卑下のパターンを大きく抱えている背景があります。そんな彩さんが娘さんを育てる中での感覚を、更に先生にこうお伝えしました。
「自分がやり遂げられなかったことを、娘の人生に乗せてやり直している感覚があるんです。娘が皆に置いていかれないように、困らないようにという思いが強くありました」

それを聞いた伊藤先生は、彩さんにこのようにお話されました。

「子供に可能性を与えるという意味では、行為として悪いことではないですが、問題はそこにある『想い』ですね。親のリベンジのために、子供の人生があるわけがないのです。
もし私に子供がいてお金があったら、きっと色々なことをやらせると思いますし、子供が欲しがる物は出来るだけ与えたい。なぜかというと、その子が何にときめくのか、何が得意なのかを、親として見極めたいからです。
習い事についても同じで、本人が興味を持てば触れさせてやりたいですし、やり始めてから不向きだったことがわかる場合もあるでしょうから、とにかく色々な事を体験させますね」


私も以前に、娘の習い事について先生から教えていただいた事があったので、娘が興味を持ち意欲がある事には、可能な限りチャレンジさせてきました。そのなかで今も続いている習い事はたった1つですが、本人が納得して自然と続いている様子を見守っています。

私は、先生からこのように教えていただく前は、「習い事は続けることが大切」という一般的な考えに疑問を持ちませんでした。でも今では、娘が本当に好きで続けたいと思うことは自然と続いていると感じますし、もし私が親として無理強いをしてしまっていたら、こうはならなかったと感じています。そんな実感の中で彩さんへの先生のご指導をお聞きした私は改めて、これからも親として、子供達に色々な経験を与えてあげたいし触れさせてあげたいと、強く思いました。

続けて伊藤先生は、親としての大切な在り方について、お話をして下さいました。私はそのお話を伺い、残りの人生において子育てにおける座右の銘にしようと心に決めたのです。

そのお話の内容については、次の記事でご紹介したいと思います。

  IMG_1524(1).jpg

我が家の娘のお稽古バッグです。ピアノの楽譜、歌の楽譜、英会話テキストなど、その時々で様々な教材が入っていました。

佐藤 泉
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衝撃の初セッション VOL.2 ・・ by 泉

開かれた心の扉

こんにちは、泉です。
私の住んでいる地域では、新型コロナウイルスの影響により休校していた小学校が先週から再開しました。娘は久しぶりの友達との時間がとても楽しい様子で元気に学校に通っており、その姿を見ると、親としてほっとする思いです。
ゆっくりと日常が戻りつつあるとはいえ、今回の件がもたらした変化や影響はとても大きく、以前の記事(「今までとは違う春」)でも書きましたように、改めて、地球や動物たちの事を考え、一人ひとりの意識や生活を見直していく必要性を感じています。

今日は、私が27歳だった2006年に伊藤先生に初めてお会いし、セッションを受けさせていただいた話(「衝撃の初セッション VOL.1」)の続きをお伝えしたいと思います。

伊藤先生は初対面で、当時の私の核心の問題、頑固で勝気な面があること、自分自身が楽しむことを許しておらず抑圧が強いことなどについて、短時間の会話の中で見抜かれました。
これらのパターンによって当時の私は被害者意識に陥りやすく、また、自分自身に許していない事を平然とやってのける人を見ると憎しみが沸き、心の中で相手に攻撃性を向けてしまうため、人間関係の中で葛藤を抱きやすかったのです。

私自身が楽しむことを許せなかったエピソードとして、精神科医として勤務を始めた頃が浮かびます。
私は医師3年目から精神科医となり、精神科病棟の勤務となりました。
長期間入院している患者さん達の人生をカルテで読み、本人と話し、病棟内での生活を知っていった私は、衝撃を受けました。
患者さんの中には、長年ずっと病院内での生活を余儀なくされている方や、家族との関係性が悪く、外出外泊をする機会がない方もいらっしゃいました。
当時の私は、私の全く知らないところで、自由のない生活を送る方達がいるのだということに、申し訳ない気持ちでいっぱいになったのです。

それから私は、仕事終わりのプライベートな時間でも「自分は恵まれすぎている。不公平だし、贅沢などしてはいけない、罰が当たる」という思いが沸いてきて、生活に必要な用事以外は出来るだけ寄り道をせずに帰宅するようになりました。
また休日であっても、気分転換のショッピングなどでさえ「なぜ患者さん達がずっと病院で過ごさなくてはいけないのに、私は自由に社会生活が出来るのだろう」と感じ、「私を知っている誰かに見られたらきっと、不謹慎だと思われるに違いない」という人の目線も気になって、次第に我慢し、外出を控えるようになっていきました。
いま振り返るととても極端な考え方ですし半ば妄想的だとさえ思いますが、当時の私は真剣でした。このようなルールに基づいて生活をしていた私は、当然ながらストレスをため込む一方でした。

そんなパターンを抱えていた私に伊藤先生は、自分を喜ばせることが足りていないこと、自分自身を満たすことはとても大切であること、また目標や理想が高すぎると辛くなってしまうことなどを伝えて下さったのです。
お話をお聞きしながら私は、心の武装体制が解除されて緩んでいく感覚を、全身で感じました。

また先生は私に、「人は基本的に“我がまま”で良い、自分らしく生きて良いのですよ。真面目に生きることも大切だけど、人には、楽しむこと、遊ぶことも必要。そのバランスによって良い仕事が出来るものです。人生とは、経験をして学び成長するためのものですから、失敗だってしても良いのですよ」と教えて下さったのです。
そして、自己表現することの大切さや、信じるものや価値観は生きていく中で変わっていっても良いことなど、それまでの私の人生にはなかった新しい考え方を次々にお話下さいました。

それは、私がさまざまなルールで自分自身をガチガチに縛り付けていることを自覚すると同時に、頑なだった心の扉が開かれた瞬間でした。

 海

このようにして先生の初セッションは、葛藤の泥沼で立ち尽くして先が見えなかった当時の私が、自分らしく人生を生きるための一筋の光を見出した日となりました。
「こうしなければならない」という思い込みの中に欲求を押し込めて、気付かないようにしていた心が解放され、これまでとは全く違う晴れ晴れとした気持ちになっていました。

セッションを受ける前は、眉間にギュッとしわを寄せて足元を見つめながら歩いていた私でしたが、帰り道では、あえて遠回りをして東京タワーが良く見える道を選び、心が解放されていくのを感じながら、上を向き、ゆっくりと歩いて帰ったのを覚えています。

それからの私は、以前とは打って変わって、「あれがしたい、これがしたい、あれもやって良いし、これもやって良いんだ。せっかくの人生だから、やりたい事をやろう!」と、堰を切ったかのように、やりたい事が次々と心から溢れ出していきました。
許可を出していなかっただけで、私の心の中には当然、欲求が存在していたのです。

ここから私は、それまで長年抑圧していた「欲求」という心の波に飲み込まれていくかのように、人生が大きく動き出しました。抑圧が強かった分、その荒波に時に翻弄されることにもなるのですが、この続きはまた、こちらのブログでお伝えしていきたいと思います。

 佐藤 泉
by 泉 | Comments(-)