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真のリーダーとは・・by 谷川

柳に飛びつくカエルのように

こんにちは。谷川です。
梅雨に入り、雨の日が続きますね。
私は、雨が降るといつも、カエルがいないか探してしまいます。私のチャイルド人格が、カエルが大好きで、昔いつも遊んでいたので、ついつい探してしまうんですよね。
今回は、ケロケロと言われてきた私に(カエルの国の王子様・・by 谷川)、ぴったりのエピソードをご紹介いたします。

先日行われた、コース生を対象とした伊藤先生のライブセッションの時のことです。
私は普段、信愛クリニックで副院長を務めており、サブリーダーとしての役目があるのですが、私の力ではとてもこなしきれないことが多く、院長からもリーダーとして力が足りないことを指摘されています。そこで、リーダーとは何か、ということを先生にご質問させていただいたのでした。

先生は、そもそもあなたがどんなリーダーになりたいかだよね、と仰いながら、リーダーについて教えて下さいました。
「リーダーの素質が備わっている人は、周囲の人を放っておけないし、目の前にある問題を放置できない。一つの目標に向かってチームを組んでいるなかで、誰かがおかしなことをしていたら、気が気ではなくて口を出さずにはいられない、何とかせずにはいられない。そういう人こそがリーダーになっていく。あなただったら、身近なリーダーである院長を見ながら、この場面で自分だったらどうするだろうかと置き換えて考えていくことで、自分がどんなリーダーになりたいのかが分かってくるでしょう。本当なら、真のリーダーになるには、この人こそが本物のリーダーだと思える人の二番手として仕えていくことが一番の早道。結局、リーダーは下の者たちに尽くすのが仕事。そうするうちに自然とリーダーとして育っていくものなんだよね」

私は、リーダーとはぐいぐい引っ張っていく人の事を想像していたので、先生のお話は「そういうものなのか」と、目から鱗が落ちるようでした。そして、私には何が足りないのかを感じていました。私はどうしても自分に意識が向いてしまい、他人に意識が向かない。それは何故なのかを考えていました。

先生は、「我が強くて、ハートやパッションに基づいて自分はこうだ、というものを絶対に譲らないという生き方がベースにあってこそ、はじめて本当の意味で人に尽くせる。良い子カルマ、逃避カルマ、プライドカルマを持っているうちは、自分にばかり意識が向いてしまうから、人に尽くすことなどできない。媚びを売らず、人の顔色を窺わず、保身に走らず自分を貫いて生きてきた人が、この人にならば全てを捧げられる、と思える人に出会った時、初めて真のリーダーへの道が開かれる。真のリーダーとは、特大のハートを持っていて、美しいものを守り抜く戦士とも言える」と仰いました。

先生のお言葉を聞いて、私は自分に足りないものが、徐々に分かってくるのを感じていました。私は、「自分はこうだ」という確固たる生き方をしてこなかったし、カルマも克服できていません。ですが同時に、私の中では今「涼子」という人格が、黙っていられない、放っておけないという気持ちから他の人格たちに働きかけています。そして、他の人格たちの気持ちに少しずつ変化が起きていて、私のカルマの克服に向かって前進しているという手ごたえが確かにあります。これが、いずれはカルマ清算に繋がり、そして真のリーダーというところに繋がっていくはずだと、この先進んでいく道が明確に見えてくるように思いました。

お話が終わった後、先生は笑いながら、「最近、谷川が急に『リーダーになりたい!』って言い始めたのが、突飛だったんだよね。『突飛』って、『突然飛ぶ』って書くけど、ケロケロの谷川が『ぴょーん!』って柳に向かって飛んでいる姿が浮かんできてしまって‥。ところで、カエルって本当に柳に向かって飛ぶの?」 と疑問を投げかけました。

そこでコース生の仲間が、その場でネット検索し、「柳に向かって飛ぶカエル」というモチーフの意味を調べてくれました。
それによると、平安時代の代表的な書家である小野道風が、スランプに陥り悩んでいた時、柳に何度も飛びつこうとしているカエルを見て、「届くわけがないのに、馬鹿なことをするな」と思っていたところ、強い風が吹いてきて柳の枝が垂れ下がり、カエルが飛びつくのに成功したのを見て、「馬鹿は自分であった、自分はこのカエルほど努力していない」と悟り、その後努力を重ねて書道の大家になった、という逸話があるそうです。

これを聞いて全員が、「おお!!」となりました。私は、柳に飛びつくカエルに自分のことを重ね合わせ、まさに今の自分にぴったりだ! と思いました。

副院長を務めながら、自分の未熟さを日々感じています。ですが、先生が導いて下さる方向にひたすら努力をし続ければ、きっといつか目標に達する。それまでは、その瞬間、瞬間を精一杯生きていけばいい、そんな思いで過ごしています。少しずつではありますが、手応えはあります。今の私はまさに柳に飛びつくカエルですが、それでいい、と思います。一日一日を大事にし、努力を続けていきます。


谷川 徹也

休日にプラネタリウムで・・by 中山

ケロケロ、ポッポ、ガツガツの3人組!?

先日、「ケロケロ」と「ポッポ」と「ガツガツ」の3人組で、東京スカイツリーのプラネタリウムに遊びに行きました。

「ケロケロ」とは、どんなに重い場面でも薄っぺらいことしか話せなかった谷川さんの様子を、伊藤先生が、カエルがケロケロ鳴いている様に例えられたことがネーミングの由来です。その「ケロケロカルマ」を持つ谷川さんは今、克服の為に「涼子」という人格が前に出て頑張っています。(谷川さんのケロケロと涼子についてはこちら→「3daysセミナーの副産物」
「ポッポ」とは、ハートの真ん中からポッポー!! と感情のままの、どストレートな表現に挑戦中の高橋恵子さん。(恵子さんのポッポについてはこちら→「伝えたいことを真っ直ぐに」
「ガツガツ」とは、かつては抑えられない怒りから、人とガツガツと衝突して人間関係を壊しまくってきた、私こと中山のことです。

私と高橋恵子さんは、6年前にコース同期として入り、かつては何かあるたびにぶつかり、コース生同士がやり取りし合うコミュでは、数日に渡る激しいケンカをしたことがありました。伊藤先生は、同じようなプライドカルマをぶつけ合う私達に、「まるで猿と猿のケンカ。2人とも猿が鏡の前で自分に向ってキーキーわめいている様だ」と仰っていました。

そんな「犬猿」ならぬ、「猿猿」の仲だった私達は、先生のもとでお互いに少しずつ人間性を改めていくなかで、数年かけて普通に雑談ができるようになり、最近では友人としてしょっちゅう話をするようになりました。以前にはとても考えられなかったことです。
そして今回、お互いのチャイルド人格が喜ぶことをしようと、東京スカイツリーのプラネタリウムに行こう!! と思い立ちました。集合時間直前になって「私も行きたい! なんだか寂しくなっちゃって‥」と、谷川さんの人格の涼子も合流しました。涼子って、ほんとかわいい人なんです。

プラネタリウムまでの待ち時間、レストランで美味しい食事とお酒で楽しく会話をしているなか、恵子さんが「まさかケロケロの谷川さんと、ガツガツの中山さんと、こんな風に話せる日が来るとはね」と、感慨深げに言って、3人そろって本当にそうだねと、これまでの私たちをしみじみと振り返りました。

今でこそ、しっとりして落ち着いた人格の涼子が前に立って、感じる思いをストレートに表現し、みんなのお手本とまで言われるほどの個人ブログを綴り続けている谷川さんも、かつては何を話しても真実味がなく、そのケロケロっぷりに周囲をお手上げ状態にさせていました。
私はと云えば、今ではある意味笑い話になるのですが、「中山被害者の会」なるものがあるほど、以前はあたりかまわず突っかかって、周りの人達をむやみに疲弊させ、多大な迷惑をかけていたのでした。

そんな3人で観たプラネタリウムは、私の想像とは全く違って、とても胸キュンな内容でした。切ないストーリーと音楽、夜空に走る流れ星‥、昔の説明的なプラネタリウムのイメージしかなかった私は、夜空を‥果ては宇宙を旅するような迫力にビックリ。
恵子さんと涼子は、ロマンチックな演出に大感激していました。さすが女子!!

私は、食事もプラネタリウムも楽しんでいる2人の様子を見ながら、しみじみと嬉しく感じていました。
かつてのガツガツしていた私。人は衝突する存在でしかなく、衝突する関係性しか分からなくなっていた私。これまで散々人間関係を破壊してきた私。そんな私が、こんな風に目の前の人が喜んでいるのを見て、心から嬉しく感じている。楽しそうな二人の様子を見ながら、そのことに私自身が驚いていました。こんな日が来たんだなあと、感慨深い1日でした。

カルマ清算、休息の一幕です。


中山寛士

仲間に委ね、甘える・・by 俊哉

甘やかすことと、許すことの違い

こんにちは。佐藤俊哉です。
私は、伊藤先生のご著書に出会い、先生のご指導のもと、アースカレッジ(旧リラ・アカデミー)で学び、早いものでこの4月で7年目になります。
「小さいおじさん、還暦を迎える!」で書かれているように、最初は、人とコミュニケーションが噛み合わないところから、先生のご指導のもと、仲間とまみれながら、還暦のお祝いをしてもらえるところまで、変容することができました。

そして、12月の3daysを経て、殻を破るところまではよかったのですが、その後、私の根本的な問題の一つである、自分の世界に籠りがちで、自分のことにしか関心が持てないという問題が露呈し、そのことを直視して向き合うということができず、ただただ落ち込むだけの日々が3か月以上も続きました。

その間仲間は、個々にブログに思うことを綴り、それにより日々成長していく姿を見るにつけ、何も進展しない私は、「みんなについていけない」、「自分一人だけ落ちこぼれている」と劣等感にさいなまれました。これまで幾度となくこういった頭打ちの状態を経験し、それでも「頭を打ち続ければ、いつかどこかにひびが入る」と先生から教えていただいて、とにかくこれまでと違う何かをして頭を打ち続けることで、状況を打破してきた私ですが、今回ばかりは、どんなに打ち続けても、一向になんの兆しを感じられず、どうしたらいいのかもがき苦しむ、いわゆるどん底の日々が続きました。

先生には、自分の変化を何もお伝えすることはできませんでしたが、せめて今の自分の思いだけでもと、4月のグループセッションの時に、「ここから、立て直していきたいと思っています」とお伝えしました。すると先生は、「今のあなたが立て直していくということが、しっくりこない。私自身、過去にどん底にいた時のことを思うと、ただその中に身を置いて、その中で感情を味わい尽くすところにいた。そして、どれだけ周りの人に支えられたんだろうと思うくらい、周りの人に甘えていた。ただただ身を委ねていた」と、仰ったのです。

先生のお言葉を聞いて、その時の私は、今はそうする以外にないと感じ、とても救われる思いでした。実際、4月のコースでは、仲間に甘えさせてもらいました。いつものように、何か発言をしないといけないのでは、誰かと話しをしないといけないのではと思ってしまいましたが、そうではなく、ただただ自分がしたいようにさせてもらいました。それは、とても楽な気持ちなのですが、どこか居心地の悪い、落ち着かない感じでもいました。

ですが、仲間はというと、誰一人私を非難することもなく、いつものように接してくれました。自由にしている私を、受け入れてもらえていると、とても温かく感じました。仲間がこれまで以上に近く、本当にありがたい存在だと感じました。

そんなことを体感した後、日常でも「何かをやらないといけない」という思いから解放され、肩の力が抜け、ありのままの自分で、時間さえも自然に流れていく感じでした。
個人ブログも、本来ならば1日1時間時間を作って、その日1日を振り返ることをしていくところなのですが、私は、書きたいときに、書きたいことを書くというように、思うままに過ごしていきました。

それはどこまでも自然体な自分の姿なのですが、一方で子供の頃からの「やると言われたことは、きちんとやらないといけない」という優等生の思いから、自分だけが毎日ブログを書いていないことが、どこか怠けているように感じ、罪悪感を覚えていました。
そのことを仲間に相談しても、「別に、本当に書きたいと思うのでなければ、書かなくてもいいんじゃない?」と、言ってもらって安心はするのですが、どこか引け目を感じていました。

私は、ただ自分を甘やかしているだけなのではないかと感じ、自分に甘いことと、そんな自分を許すこととの違いについて、今月のセッションで先生にお聞きしました。すると先生は、「それを聞いてまず、有言実行ということが出てくる。あなたにとって、有言実行を果たすために必要なブレイクであれば、それは自分に許すことだし、そうではなくて、ここからフェードアウトさせるだけのものであれば、それは甘やかしていることになる。私自身はこれまで有言実行を貫いてきた。だから、どこをとっても、私自身に対して甘やかしたという感覚はないんです。もしかしたら、過去生なんかで自分の子供を甘やかして育てたことがあったかもしれない。でも、それ以降はその子の問題で、自分は愛されたと、大事にされたと糧にして役立たせるか、そうではなくて、甘やかされたことで堕落し腐っていくのかは、その人の問題なのです」と教えてくださいました。

それをお聞きして、すべては私が今の状態からどうするのか、今の状態から結果として何を生みだすのか、それだけだと思いました。そう思うと、今の私がたとえどんな状態であれ肯定できる感覚と、さらに、今ある状態が、自分にとってどうしても必要な通過点だと、今の自分の在り方を許せる感覚になりました。
ここから、私がどんな結果を出すかが問題であり、今の状態が問題なのではないことが分かりました。

つまりはここから、自分がどうしていくかだと思っています。先生に教えていただいて、しっかりとした意識になりました。頭打ちを脱するためにという言葉も、今はしっくりきません。どれだけ時間がかかるのかもわかりません。ただ私が、諦めることなくこの先に向かうんだという気持ちだけは確かに感じています。今に身を委ねて、これまでしてきたように頭を打っていきたい、このことを噛みしめています。


佐藤俊哉

我の強い自分で・・by 君山

「私は、こうなんだ!」

こんにちは。君山敬子です。
私は、人格統合強化セミナーを継続的に受ける中で、人格同士が家族のように関わり合えるようになる大きな変化を体験しました(「魂が求めていたもの‥by 君山」)。そしてそこから先生のご指導をいただき、内側の人格たち(「個性豊かな内なる家族‥by 君山」)のなかでも、最もハートフルで、物事をフラットに捉えることができる人格「ジュン」を中心に、日常を過ごすことを課題にしてきました。

人格統合を進める上で、これまで表に出ていなかった人格が出てこられるようにするには、まず、その人格で感じ、表現することが基本となります。

今年2月に開催された人統合強化セミナーの中でも、伊藤先生は、その日一日を振り返って感じたことを個人ブログに表現することが、人格統合を進めていく上でどれほど重要で軸になるか、ご講義してくださいました。参加者たちは、ブログを通して自分の問題の根深さに気づいたり、ブログに表現するほどに内側の感情に気がついたりと、セミナーを経ての手ごたえをそれぞれに感じていました。

私も、日々「ジュン」としてブログに刻むことで、これまで他の人格たちに押されがちだった「ジュン」が前に出られることが増え、日常をよりフラットな状態で過ごし、感じたことを流さずに自覚できるようになってきました。
「書く・表現する」ことが、これほど大きなことなんだと実感しています。

ブログに表現しながら、自分が何を感じているのかを探るように書くこともありました。書いてみたら、全く思いも想像もしなかった言葉が綴られるということもしばしばです。そういう時は、自分という人間の別の側面を発見した気持ちで、実はこんなことを思っていたんだと驚いたり、妙に感心したりします。
しかし、内側の思いをすべて表現し切ろうと思えば思うほど、自分の書いているものに物足りなさを感じてもいました。

その思いは私だけではなく、「いざ書こうとして書いてみると、内側で感じている生々しい思いがそのまま伝わるようにブログが書けない」と、その時セミナーに参加したほとんどの人が口にしていました。

そのみんなの現状にたいして、先生は、「訴える力が大事。内側でごちゃごちゃしていては伝わらない。外に向かって『私は、こう!』と自己表現をしていること。誰が何を言おうが『私はこうなんだ!』と、我の強さを出すことです」とお話しされました。

先生のお話をお聞きしながら、自分はまるで小さな水鉄砲で外に向かって「ピュッピュ」と噴射しているくらいの表現で、これでは読む人に届かない、もっと、大きな噴水のように、自分を表現したい! と、内側がむずむずしてきました。

先生はみんなに、「自分に、我を強くする事を許したら、どんなことを表現したい?」と問われました。私は、それをするにはどうしても自分に勢いが足りないように思え、薪をくべたくなる気持ちでいる事をお話しすると、先生は、「それって、火が足りないって感じ? アルコールはどう?」と言われたのです。
確かに、お酒を飲むと内側のごちゃごちゃした言葉が気にならなくなり、外に向かってストレートに表現できそうだと思った私は、休憩中にお酒を買い込み、飲みながらブログを書くワークに入りました。

お酒を飲んでは先生のご講義を思い返し、「自分に我を許すぞ!」と思いながらいると、内側で足を引っ張っていた、こうでなくてはダメ等のジャッジや、誰かの指摘を恐れていた気持ちが、薄皮を剥がすようにどんどん薄れているのを感じました。そうすると、むくむくと内側から出てくることを伝えたい気持ちが湧いてきて、伝えたいというより、表現せずにいられないような、気がつけば、そんな衝動に近い思いでブログを書いていました。

それは日常の些細なやりとりについてで、自分としては、「ちょっと嫌だな。でもまあいいか」程度の認識でしたが、書いているうちに、相手の言動にたいして「嫌だ!」という思いが繰り返し出てきて、書けば書くほどその感情は怒りに近いものになっていき、体が震えてきそうなくらいだったのです。こんなに気持ちを詰まらせていたなんて、書くまで気づいていませんでした。書き終えた時には大きなため息が出て、ぐったりするくらいでした。

先生のご講義の後のみんなのブログは、ほとんどの人のブログが感情的で、生々しく、ヴィヴィッドに感じるものに変化していました。私自身は、これまでになく、言葉を選ばずに、まっすぐな気持ちそのままを表現できて、これまで書いてきたブログが当たり障りのない、とてもボヤけたものに感じるほど、歴然とした変化を感じました。

しかし、勢い勇んでアルコールをグビグビ飲みながらブログを書いていた私は、みんなが書き終えて感想を伝え合っている時にはすっかり酔っぱらってしまい、同期の仲間に対して、不満やら心配やら応援したい気持ちやらを、涙ながらに先生に訴えていました。

先生はそんな私の様子に大笑いされながら、「あなたたち(同期)の間には、愛が育まれているんだね」と仰られ、そして「君山は、週に3回くらいは飲んでブログを書いた方がいい」と、酔っ払いの私を咎めることなく、そう仰ってくださいました。

セミナー後、その感覚を忘れまいと、日々「ジュン」としてブログに刻んでいます。「ジュン」として何を感じているのかが、よりくっきりしてきていて、しっかりと自分の思いにフォーカスし、まっすぐ表現できてきています。ですが、書けば書くほど、「いや、こんなんじゃない!」と、求めている表現に届いていないもどかしさも湧いてきます。

先生は、今回のブログのご指導の中で、「まずは書いていくこと、それが瓦礫であったとしても、書きながら瓦礫をどかし、その先に何かあるんじゃないかと掴もうとすることです」とお話しされました。私は自分の表現するものが、これまでと違って何かを掴もうとしているのを感じます。一方で、足りなさも同時に感じています。
先生のお言葉を胸に、ひたすら表現して、瓦礫をどかした先にある何かを掴みに進んでいきたいと思います。


君山敬子

2月15日はアセンション記念日・・by 中山

お笑い般若心経誕生!!

こんにちは、中山寛士です。
私は2年前、アースカレッジのリーダーとして記事を書かせて頂いていました。ですが、その後大きなプライドカルマの炙り出しにより、一度はコースをリタイヤし、そこからの復帰を経て今、いちコース生として、また事務所スタッフとして取り組みを続ける中で、今回久しぶりに記事を書かせて頂きます。

私はこれまで長い間、図々しく攻撃的で、自分の満足のためにあらゆることを利用する私のプライドカルマを、どうしても根本から変える事が出来ず、「こんな自分なんて生きる価値はない」と自虐モードに入り、行き詰っていました。そんな私に今、そこから抜け出せるかもしれない「何か」が起こり始めています。

それは、前々回の1dayセミナーで、伊藤先生から「こうすべき、こうでなくてはいけないなどの、ありとあらゆるジャッジを外した時に、あなた達が本当にしたい事はなんですか?」 と問われたことからでした。

私は、先生のそのお話をお聞きして、これまでの人生を振り返って向き合った結果、「自己愛を育みたい」とお伝えしました。それは、自分の存在を否定していた私にとって、自己愛へ向かおうとする、一歩でした。

ですが、ここまで自己否定する癖を身につけた私が、簡単に自己愛に向かえるはずはありませんでした。すぐに行き詰まり、どうしたら自己愛が育めるのかをグループセッションで先生にご相談しました。そして、先生に問われるままにお答えしていくなかで、私はいつの間にか、幼少期の親との辛い経験から、アースカレッジに辿り着くまでの人生をとつとつと語っていました。

私はこれまで、人生で行き詰まる度に「本質は何か」と考え、ソーシャルスキルトレーニング、宗教、西洋物理学、宇宙論、スピリチュアルなどに答えを求めてひたすら探求してきました。
たとえば、中学生の時に自分の醜さを一つも余すところなく見切らなければ自分を許せなくなった私は、内面を1つ1つ否定のジャッジをしながら掘り下げていきました。そして自分の醜さを全部見切ったと感じた、約20年後。自分のなか全てが真っ黒になったと感じた時に、その対極にある真っ白のイメージが降ってきたような体感をしました。それは否定のジャッジの対極にある、「すべてがなるべくしてなっている」という、無条件そのもののイメージでした。
その後私は、仕事も含めた生活すべてを変えて、その真っ白の、無条件そのものの存在になろうとしました。それは結局、自分からは何もアクションを起こせなくなり、友人にさえも自分からは何も連絡出来なくなり、誰も私がこんな風に生きている事を知らない、孤独死しそうな方向に深く入り込んで、生きるために方向転換を余儀なくされる結果になるのですが‥。

その他にも、そんな人生の喜怒哀楽の全ての始まりは、宇宙の始まり、ビックバンが原因だと悟ったように感じ、ビックバンがなぜ起こったのか、科学では説明できないそこに一体何があったのかを追い求めました。
こういった、この数行ではとても伝えきれないような浮世離れした事を、ひたすらやっていました。ですが結局のところ、どこに行っても現実に、周囲の人との人間関係がうまくいかなかったのです。

何回目だったでしょうか。どこに行って何を追い求めてもやっぱり出てくる「人間関係がうまくいかない」という言葉に、始めは真剣な面持ちで話を聞いていたみんなの空気が、次第におかしくなってきました。
伊藤先生がこらえきれずに笑いながら、「ビックバンお化けに取り憑かれている‥」と称されると、その場にいた全員が、お腹を抱え、涙を流して笑い出したのです。私が熱を込めて真剣に語ればかたる程に、みんなが涙しながら笑っていました。ビックバンよりも、真っ黒や真っ白よりも、人間関係をどうにかしようよ、と。

私ははじめは、なぜみんなが泣いたり笑ったりしているのか分かりませんでしたが、次第に自分でも語れば語るほどに、なんだかおかしくなってきました。

伊藤先生は、「これまでの人生でこんなに笑いを取ったのは、初めてなんじゃない? あなたは初めて、人に与えることができたのよ。それも、あなたがこれまで一度も求めて来なかった『笑い』でね。こんなにみんなに笑ってもらえるなんて、これほど幸せなことはない。これまでのあなたの人生はすべて、今日こうして笑ってもらうためにあった。これが、あなたのこれまでの人生へのご褒美。みんなに笑ってもらって、今、あなたの人生に一瞬で価値がついた。笑いは、偉大だよ」と。

あまりのお言葉に、私はすぐに飲み込むことができませんでした。コース生から爆笑が起こり、先生も涙が出るほど、お腹を抱えて笑ってらっしゃいます。いつの間にか私も、酸欠になるほど笑っていました。私はこんなに、自分のことを笑ったことはありませんでしたし、こんなに笑ってもらったこともありませんでした。そして笑うほどに、「今日、あなたの人生が報われた」という、伊藤先生のお言葉が自分の中に染み入ってきました。

すると笑いの嗚咽は、涙の嗚咽に変わっていました。
全員の前で、私は堪えられず、ボロボロに鼻をすすりながら泣いていました。とにかく何も考えられず、込み上がって来るものが涙となって溢れ出していました。

その様子を見た先生は「ハートが開くって、こういうことだよね。今日は中山がアセンションした特別な日。人生って、分からないものだね」と、笑いながら仰いました。
こうして、2019年2月15日は、私にとって「中山アセンション記念日」となりました。

先生は、「ただひたすら今日の録音を聞いて、そこからの事をblogに書いてごらん。人格統合もカルマ清算もいい、またお化けに取り憑かれるだけだから。ただひたすら、それだけをしてみたら?」と、仰いました。それから私は、ひたすら録音を聞いて、そこから感じる事をblogに表現していきました。聞くほどに、お笑いにしてくださった先生へのありがたさ、その場で笑って涙してくれたみんなへのありがたさで、心が温かくなるのを感じます。

私は普段から、すぐに自分の世界に閉じこもって取り組みをする、「お化けに憑りつかれた状態」に陥ってしまいます。ですが、この録音を聞けばそこから抜けられる事から、先生はこれを「お笑い般若心経」と銘々されました。
この「お笑い般若心経」は、伊藤先生のご提案によりYoutubeで公開され、その後の先生のご指導により、今、さらなる発展と進化を遂げつつあります。
この続きはまたの機会に、ご報告します。


中山寛士