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新年のご挨拶・・by さやか

明けましておめでとうございます。
高橋さやかです。

2023年がはじまりました。



空と、海と、光が刻々と移り変わる姿に見とれながら、三浦半島の立石海岸で写真を撮りました。
地平線に向かって、空を渡る光の鳥と、海を渡る波の鳥が
真っ直ぐに飛んでいくように見えました。

ひたむきに真っ直ぐに飛ぶ姿を心に強くイメージして
一日一日を過ごそうと思います。

本年もどうぞよろしくお願いします。


高橋さやか

2022年の終わりに・・by さやか

皆さま、こんにちは。
高橋さやかです。

昨年お知らせの記事を書かせていただいてから、大変ご無沙汰をしています。
新たな公式ブログの立ち上げについては、まだお知らせすることができませんが、今日は、年末のご挨拶に代えて、私にとってとても大きかった2022年のことを書かせていただきたいです。
わたくし事になりますが、読んでいただけたら幸いです。

私は今年の8月から、伊藤先生のセミナーやセッション、アースカレッジのコースの参加をお休みさせていただいていました。伊藤先生のもとに来てから7年間のなかで、はじめての事でした。

私は伊藤先生のもとに長年いながら、人としてどう在ることが愛に基づいた生き方なのか、私の魂が求める生き方が何なのか、本質を理解することなく、失態をする度に向き合えず逃避をしてしまった人間でした。
当然リーダーとしてもまったく成り立っていないまま、自分を責めて八方塞がりになった私は、自分の殻に閉じこもり、コース生と話すことすらもできない状態に陥っていました。

このままではいけないと数ヶ月悩んだ末、私は、セミナーやセッション、コースへの参加をお休みさせていただき、自分がどうしたいのか省みる時間をいただきたいと、伊藤先生にお願いをしました。
当然お叱りを受けると思っていましたが、先生はただ、分かりましたと仰って、驚き憤るコース生たちに、「本人が何とかしたいと言っているのだから」と、何も言えなくなっている私の気持ちの代弁をなさるほどでした。

先生のお力になることなど微塵もしなかった私なのに、先生は私の意思を尊重されました。私はただただ、いたたまれなく、言葉がありませんでした。だからなおさら自分を何とかしなくてはならないと思いました。

お休みをしている間の私は、誰とも関わることなく、毎日カウンセリングをさせていただいていました。こんな状態で人様の話を聞くなんて、有り得ないと思いながら、それでも毎日、いらっしゃる方たちの話を聞かせていただき、その人自身が回復していく姿や、家族の関係が修復、再生していく姿をたくさん目の当たりにしました。

そのたくさんの姿から、日々私のほうが励まされ、与えてもらっている気持ちでした。
人は人によってしか救われない、という伊藤先生の言葉を何度も思いました。

そして、先生は常にすべてを捧げて尽くし、身を削って人を教えて来られているのに、私は、いつ先生の傍らに立って先生を支えようとしたっていうんだろう、本来は貢献するはずだったのに何もできていないという思いが、寝てもさめても押し寄せました。

そのような思いのなかで、11月になり、私は数ヶ月ぶりに伊藤先生のセッションに参加させていただきました。
このような思いがあっても、私はその時、何かをしようとする力すらも出てこない状態でした。でも何か、何かできないかと思う事を、本当に図々しいと思いながらも、先生にお話ししました。

すると先生は、その場にいたコース生の君山さん、桑名さん、中山さんと、私の4人で、手を繋ぐように仰いました。

その先生の言葉をお聞きした瞬間、私は腹の底から込み上げてくるものでいっぱいになり、膝から崩れ落ち号泣して、なかなか手を繋ぐことができませんでした。

「この人たちは、本来だったら、あなたの家族であり仲間であり、あなたと共に私を支えていたはずの人間です」
と先生は仰いました。

その時、これまでの愚かなカルマまみれの私、人にたいして、自分の気持ちを分かってもらえないとか認めてもらえない等の思いを募らせ、見下しやいがみ合いをする私の姿が、遠く感じられました。
そうではなく、愛に基づいてお互いに支え合い、高め合いたいという、私の魂が求めていた事だけがはっきりと感じられる、奇跡的な時間が流れました。
カルマに足をとられていなければ、世界はこういうふうに見えるんだと思うほどでした。

そして、私がせめて何かしたいとお聞きした事への先生のお答えは、「本来はこうだったはずという魂の欲求を、温め、育む」ということでした。

私が7年かけて先生にたいして重ねてしまった年月は、取り返しがつくことはありません。それでも、先生のセッションでこのような時間をいただき、自身の魂の欲求に基づいた思いを育み、2023年を精一杯過ごさせていただきたいと思っています。
このことの続きは、あらためて書かせていただきたいと思います。


寒さが厳しい冬となりそうです。
皆さま、どうぞあたたかくして、良い年末年始をお過ごしください。


高橋さやか

やさぐれ人格の発見 ・・by 二村

抑圧されていた怒りの感情

こんにちは、コース生の二村 麻穂です。
今回は前回の記事の続きで、以前私が学んでいたAさん本人に、私が感じていた疑問をぶつけた出来事について書いていきたいと思います。

とても尊敬していたAさんにセミナーやセッションを受ける事を断られ、どうして良いのか分からなくなり自己否定を繰り返していた私が、自分を何とかしたくて伊藤先生のもとに辿り着いたことは、前回の記事でご紹介させて頂きました( →「伊藤先生との出会い」)。
その後、月に1回当時の認定の方のセッションを受け、先生のセミナーに2回目に参加した時に、私の中の「やさぐれ人格」を先生に特定していただきました。やさぐれ人格は、Aさんが私に言ったことに納得できておらず、怒り狂っていました。

「何がいけないのか?分かるように説明してくれりゃいいじゃないか?よくわからない高次元だのなんだの言われて、だから何なんだ?あたしが納得してないんだよ!何が失礼なのか? 何が愛じゃなかったのか? 説明もしないで切り離す。それのどこが愛なんだ?ムカつくんだよ!!」

また、やさぐれ人格は、自分自身に対してもムカついていました。相手が100%正しくて自分が悪いんだと思い込むことや、真実を確かめようともしないこと、また、納得がいっていない場面でもそう言うことが出来ない自分に対してです。

やさぐれ人格を先生に特定していただいたおかげで私は、それまで出来なかった、自分の事を守れる人間になりました。しかしその反面、怒りを周囲にぶつけてしまうようになりました。
良い子人格を見れば、誰かれかまわず 「お前バカじゃないの?そんなふうに相手に合わせてばかりで依存して生きて、自分の意見も何もない。そんな人生は意味ねーよ!」と、怒りまくるようになってしまったのです。
言葉ではそのまま言わないものの、そんな私のイライラした様子に、当然ながら周りの人達はどんどん引いていきました。自分の意見を言えるようになり良かった側面はあったものの、このままでは相手と分かり合えることが無いのだという事に私は気が付きました。しかし、長年抑圧してきた怒りの感情の噴出は、自分では止められなかったのです。
このように、自分の中の相反する気持ちの整理が出来ずに悩んでいた私に、伊藤先生はこうお話し下さいました。

「Aさんは、あなたが間違っているというジャッジをしたんだよ。真実とか真理は、善悪のジャッジをやめないと見えてこない。本当に価値のあるもの、絶対的不動の真理は善悪の中にはないんです。やさぐれ人格は頭は悪くない、感性の豊かな子、素直な子、賢い子が多いです。あなたは、親や他の人にされてきたジャッジを、周りの人にいま同じことをしているんですよ」
この時私は、ずっと欲しかった答えを伊藤先生が下さったと感じ、嬉しさと感動で涙が溢れました。また先生は、
「ここに居たければ好きなだけいて良いし、よそが良いと思えばよそに行けば良いし、あなたの好きなようにすれば良いですよ」
と仰って下さり、私は自由で居て良いんだと、とても安心した中で自分の事を見つめ続けました。

その後、準備が整った私は遂に、Aさんのセッションを受けることになりました。セッションでの私の質問に対するAさんの答えは、いっけん的を得ているようでいて良く分からず、何ひとつ私にとって「なるほど」と感じるものはなかったのです。
その後、Aさんのもとを離れた私は、伊藤先生のもとで自分を見つめ続けました。

先生はいつも、目を背けたくなる様なカルマでも私が理解し納得する言葉で伝えて下さり、また、私が努力している事や成長した部分は、そのままを見て下さいます。
学ぶ年月の中で私にとって先生は、この方こそが本物なんだ、この先生しかいないと、心から信頼し尊敬する存在になっていきました。
私の中の人格達は今でもまだまだ未熟者ばかりですが、5年前を振り返って思うと、とても成長したと感じています。

現在私は、先生に教えて頂きながら、子供達との関係性に向き合っています。親としての今までの私自身の在り方を反省し、言動をもって子供達に伝えながらコミュニケーションを重ねる中で、関係性が大きく変化していることを感じています。
これからも私は、親としての努力を続けていきたいと思っています。

二村 麻穂
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伊藤先生との出会い・・by 二村

長い回り道を経て

こんにちは、コース生の二村 麻穂です。今回は、私が初めて伊藤先生とお会いした時の事を書いていきたいと思います。

私が伊藤先生を知るきっかけとなったのは、今から7年前に遡ります。当時の私は、陰陽の統合という事について学びを深めたいと思っており、その頃にスピリチュアルな事や心の内を話せる2人の友人から同時に、それぞれ1冊ずつ本を貸してもらう機会がありました。
そのうちの1冊は、自分の内側を見つめてそれを改めることで幸せになっていく、という内容でした。そしてもう1冊は、伊藤先生の「ネガティブを愛する生き方」でした。
2冊を読んだ私は、1冊目の本の著者であるAさんのセッションを受けてみることにしました。Aさんは私の心の深い所に触れ、心の奥底にあった気持ちが引き出されたことに衝撃を受けた私は、Aさんのセミナーを受講してみることにしました。

しかしセミナー当日に、私は会場である違和感を覚えました。参加者の人達がみな、Aさんをまるで崇めているかのような雰囲気だったのです。私はその違和感をそのままに出来ず、セミナーの場でAさんに率直に、「皆さんがAさんを崇めているように感じるのですが、それについてAさんはどう感じますか?それは良いのですか?」と、感じたことを聞いていました。するとその場の空気が凍り付き、私はその雰囲気を察知して、「なんてことを言ってしまったんだ、取り消したい…」と思いました。その日は居心地の悪さを感じながらも、セミナーを最後まで受けて帰宅したのです。

後日のAさんのセッションの際、Aさんは私に「なんて失礼なことを言う人なんだろうと思いました」と仰いました。私は当時Aさんを尊敬していたので、この方が言うのだから自分が100%悪いに違いないと思いました。
その後もAさんのセッションやセミナーを受けていたのですが、2年経ったある日のことです。セッション後にAさんから「今後、セミナーやセッションを受講することをお断りします」と突然伝えられたのです。
その日のセッションは穏やかな雰囲気でしたし、いつかのセミナーの様に失礼な事を言った覚えもなかったので、自分の何がいけなかったのか分からずショックで、私は途方に暮れてしまいました。私はAさんを信頼し偉大な人だと信じていたので、私がいけないんだと自己否定し続け、ハートが痛くてたまらなくなっていきました。そして、人が多い場所が辛くなり、買い物に出かけるのがやっとなほど、ふさぎ込んでしまったのです。

辛い状況を何とかしたくて苦しんでいた時に、伊藤先生の「ネガティブを愛する生き方」の事が頭に浮かび、図書館で借りて読み直しました。私はこの時、この先生なら私の苦しさを理解して下さるかもしれないと感じました。そして、初めて伊藤先生のセッションを受ける機会が訪れました。
初回のセッションで伊藤先生は、とても気さくに、家族や友人に接するように話してくださったことを覚えています。
私は、これまでのAさんとの関係性についてや、セッションやセミナーへの参加を断られるに至った経緯について、自分で思うことをお話しました。
そして、自分の何がいけなくてAさんに断られたのかが分からない事や、これからも自分を見つめて自分の内面をきれいにしていきたい、という気持ちを先生にお話したのです。

先生は、「相手があなたの言う偉大な人であれば、あなたの質問にきちんと答えるはずです。セミナーでのあなたの質問は、そこにいた皆に大事なレッスンが含まれていました。私はそう質問したあなたが好きです。私の事も、あなたはあなたの目で見極めなくてはいけない。それから、あなたは断られた理由がきちんと解っていないのだから、Aさんにきちんと理由を聞くということが必要ですね」そう言って下さいました。
でも、今すぐAさんにその理由を聞くことを想像すると、怖くて仕方がない気持ちが出て来ました。その様子を見た伊藤先生は、時間をかけて準備することを提案して下さいました。また先生はその時、「私の事も、時間をかけて本物かどうか見極めなさい」と言って下さり、こんなことを仰る先生が居るという事にとても驚きました。

今振り返ると、最初2人の友人から2冊の本を借りた頃の自分は、ネガティブな側面を見つめているつもりで実は見ようともせずに、自分の都合の良い部分だけに向き合い、改めたつもりになっていたのだと思います。
アースカレッジで5年学んだ今は、自分の中のネガティブを見ずに生きることは、自分の苦しさや辛さを認めることも寄り添うこともしない、全く愛のない生き方なのだと理解するようになりました。

次回は、私の中のとても重要な人格を伊藤先生に特定して頂いたことや、その後私がAさんに抱いた疑問を本人に直接伺いそこで学んだ事について、書いていきたいと思います。

二村 麻穂
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命の教育 (後編)・・by 恵子

相手の立場に立って

こんにちは。認定ティーチャーの高橋恵子です。
前回の記事「命の教育(前編)」では、小さい命である虫達へ向ける視点や、命に大小はないのだという伊藤先生のお話をお聞きして、私がとても心が動かされたことをお話しました。

ちょうどその頃に、小学校3年生の息子が庭で遊んでいた時に、虫眼鏡で枯れ葉を焼くことに夢中になり「アリンコ焼いてみたい!」と言いました。母親である私は、小さい命を大切にするという事をあれこれと説明してみたものの、充分に伝えることが出来ませんでした。
「虫をおもちゃのようにしてしまう小さな子ども達や、好奇心からアリンコを焼いてみたい、と言った息子に、どう対応したらよいでしょうか?」と聞く私に対して、先生はこう話されました。

「私なら、普通に止めますね。『自分がされたらどう?』と言います。
『自分の体が燃えるとどうなると思う?』『熱いフライパンの上に手を置いてみる?』『それをアリにするの?』と聞いていくと思うし、乱暴に触っているような時には、『こーんなおっきいマンションみたいな人に捕まって、こうやってギュッとされたらどうかな?』『どんな気持ち?』と聞いていきます。
『この子達は、人間ではないけど、やっぱり生きたいと思っているんだよ』『痛いって感じるし、怖いって感じるんだよ』と。こういうことが子どもの想像力を豊かにするし、一つひとつが、相手の立場に立つということを覚えるきっかけになっていく。私が母から徹底的に言われ続けた事は『自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない』ということ。これは基本なんです。相手が虫だろうと動物だろうと一緒です。それを頭ごなしではないところで教えるんです。やって良いことか悪いことかではなく、大事なのは、『それがつまりはどういうことか?』なんです」


それをお聞きして私は、目の前にモヤがかかっているかのような視界が、スッと晴れていくようでした。そして、無意識のうちに頭の中にあった、良いことか?悪いことか?という善悪の判断の枠組みが、ガラガラと崩れていくように感じたのです。

それからは、子ども達が虫を捕まえたり、乱暴にしているような時には、「こんなふうにされたら、どうかな?」と一緒に虫の立場に立ってみたり、「痛いよー」「怖いよー」と虫の気持ちになって代弁するように話したりしています。
すると、小さな子ども達は、すんなりと虫達の気持ちに寄り添い、「痛いの?」「寒いの?」と、時には話しかけたりしながら、優しく接するようになるのを何度も見ています。

息子は、実は虫があまり得意ではないのですが、先生から教えて頂いたような関わりをしているうちに、道路にいるカタツムリを、車に牽かれないようにと助けてあげたり、以前より自然と優しくなっている様子を見かけます。
子ども達と一緒になって、虫の立場に立ってみたり、目線を合わせてみると、私が生活している周りには、懸命に生きる小さな命でいつも溢れていることに気付きます。

  虫  虫②

それぞれが命を生きることの、美と輝きに満ちています。

そして、このようなやり取りを通して、子ども達にどう伝えるのか以前に、私自身が小さな命に対して、普段ほとんど目を向けずにいたのだということに気付かされました。

どう教えるか、どう接するか、ということだけが教育ではなく、大人の在り方や矛盾をそのまま見て真似ているのだなと、子ども達を見ていて思います。

伊藤先生は、「命あるものが一生懸命生きているんだ」ということを感じられる情緒を、いかにして色んな場面で教えるかということが、大事だということも教えてくださいました。
私自身も子ども達と一緒に、そんな情緒を育んでいきたいと思っています。

高橋 恵子
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