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衝撃の初セッション VOL.2 ・・ by 泉

開かれた心の扉

こんにちは、泉です。
私の住んでいる地域では、新型コロナウイルスの影響により休校していた小学校が先週から再開しました。娘は久しぶりの友達との時間がとても楽しい様子で元気に学校に通っており、その姿を見ると、親としてほっとする思いです。
ゆっくりと日常が戻りつつあるとはいえ、今回の件がもたらした変化や影響はとても大きく、以前の記事(「今までとは違う春」)でも書きましたように、改めて、地球や動物たちの事を考え、一人ひとりの意識や生活を見直していく必要性を感じています。

今日は、私が27歳だった2006年に伊藤先生に初めてお会いし、セッションを受けさせていただいた話(「衝撃の初セッション VOL.1」)の続きをお伝えしたいと思います。

伊藤先生は初対面で、当時の私の核心の問題、頑固で勝気な面があること、自分自身が楽しむことを許しておらず抑圧が強いことなどについて、短時間の会話の中で見抜かれました。
これらのパターンによって当時の私は被害者意識に陥りやすく、また、自分自身に許していない事を平然とやってのける人を見ると憎しみが沸き、心の中で相手に攻撃性を向けてしまうため、人間関係の中で葛藤を抱きやすかったのです。

私自身が楽しむことを許せなかったエピソードとして、精神科医として勤務を始めた頃が浮かびます。
私は医師3年目から精神科医となり、精神科病棟の勤務となりました。
長期間入院している患者さん達の人生をカルテで読み、本人と話し、病棟内での生活を知っていった私は、衝撃を受けました。
患者さんの中には、長年ずっと病院内での生活を余儀なくされている方や、家族との関係性が悪く、外出外泊をする機会がない方もいらっしゃいました。
当時の私は、私の全く知らないところで、自由のない生活を送る方達がいるのだということに、申し訳ない気持ちでいっぱいになったのです。

それから私は、仕事終わりのプライベートな時間でも「自分は恵まれすぎている。不公平だし、贅沢などしてはいけない、罰が当たる」という思いが沸いてきて、生活に必要な用事以外は出来るだけ寄り道をせずに帰宅するようになりました。
また休日であっても、気分転換のショッピングなどでさえ「なぜ患者さん達がずっと病院で過ごさなくてはいけないのに、私は自由に社会生活が出来るのだろう」と感じ、「私を知っている誰かに見られたらきっと、不謹慎だと思われるに違いない」という人の目線も気になって、次第に我慢し、外出を控えるようになっていきました。
いま振り返るととても極端な考え方ですし半ば妄想的だとさえ思いますが、当時の私は真剣でした。このようなルールに基づいて生活をしていた私は、当然ながらストレスをため込む一方でした。

そんなパターンを抱えていた私に伊藤先生は、自分を喜ばせることが足りていないこと、自分自身を満たすことはとても大切であること、また目標や理想が高すぎると辛くなってしまうことなどを伝えて下さったのです。
お話をお聞きしながら私は、心の武装体制が解除されて緩んでいく感覚を、全身で感じました。

また先生は私に、「人は基本的に“我がまま”で良い、自分らしく生きて良いのですよ。真面目に生きることも大切だけど、人には、楽しむこと、遊ぶことも必要。そのバランスによって良い仕事が出来るものです。人生とは、経験をして学び成長するためのものですから、失敗だってしても良いのですよ」と教えて下さったのです。
そして、自己表現することの大切さや、信じるものや価値観は生きていく中で変わっていっても良いことなど、それまでの私の人生にはなかった新しい考え方を次々にお話下さいました。

それは、私がさまざまなルールで自分自身をガチガチに縛り付けていることを自覚すると同時に、頑なだった心の扉が開かれた瞬間でした。

 海

このようにして先生の初セッションは、葛藤の泥沼で立ち尽くして先が見えなかった当時の私が、自分らしく人生を生きるための一筋の光を見出した日となりました。
「こうしなければならない」という思い込みの中に欲求を押し込めて、気付かないようにしていた心が解放され、これまでとは全く違う晴れ晴れとした気持ちになっていました。

セッションを受ける前は、眉間にギュッとしわを寄せて足元を見つめながら歩いていた私でしたが、帰り道では、あえて遠回りをして東京タワーが良く見える道を選び、心が解放されていくのを感じながら、上を向き、ゆっくりと歩いて帰ったのを覚えています。

それからの私は、以前とは打って変わって、「あれがしたい、これがしたい、あれもやって良いし、これもやって良いんだ。せっかくの人生だから、やりたい事をやろう!」と、堰を切ったかのように、やりたい事が次々と心から溢れ出していきました。
許可を出していなかっただけで、私の心の中には当然、欲求が存在していたのです。

ここから私は、それまで長年抑圧していた「欲求」という心の波に飲み込まれていくかのように、人生が大きく動き出しました。抑圧が強かった分、その荒波に時に翻弄されることにもなるのですが、この続きはまた、こちらのブログでお伝えしていきたいと思います。

 佐藤 泉
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