抑圧されていた怒りの感情こんにちは、コース生の二村 麻穂です。
今回は前回の記事の続きで、以前私が学んでいたAさん本人に、私が感じていた疑問をぶつけた出来事について書いていきたいと思います。
とても尊敬していたAさんにセミナーやセッションを受ける事を断られ、どうして良いのか分からなくなり自己否定を繰り返していた私が、自分を何とかしたくて伊藤先生のもとに辿り着いたことは、前回の記事でご紹介させて頂きました(
→「伊藤先生との出会い」)。
その後、月に1回当時の認定の方のセッションを受け、先生のセミナーに2回目に参加した時に、私の中の「やさぐれ人格」を先生に特定していただきました。やさぐれ人格は、Aさんが私に言ったことに納得できておらず、怒り狂っていました。
「何がいけないのか?分かるように説明してくれりゃいいじゃないか?よくわからない高次元だのなんだの言われて、だから何なんだ?あたしが納得してないんだよ!何が失礼なのか? 何が愛じゃなかったのか? 説明もしないで切り離す。それのどこが愛なんだ?ムカつくんだよ!!」
また、やさぐれ人格は、自分自身に対してもムカついていました。相手が100%正しくて自分が悪いんだと思い込むことや、真実を確かめようともしないこと、また、納得がいっていない場面でもそう言うことが出来ない自分に対してです。
やさぐれ人格を先生に特定していただいたおかげで私は、それまで出来なかった、自分の事を守れる人間になりました。しかしその反面、怒りを周囲にぶつけてしまうようになりました。
良い子人格を見れば、誰かれかまわず 「お前バカじゃないの?そんなふうに相手に合わせてばかりで依存して生きて、自分の意見も何もない。そんな人生は意味ねーよ!」と、怒りまくるようになってしまったのです。
言葉ではそのまま言わないものの、そんな私のイライラした様子に、当然ながら周りの人達はどんどん引いていきました。自分の意見を言えるようになり良かった側面はあったものの、このままでは相手と分かり合えることが無いのだという事に私は気が付きました。しかし、長年抑圧してきた怒りの感情の噴出は、自分では止められなかったのです。
このように、自分の中の相反する気持ちの整理が出来ずに悩んでいた私に、伊藤先生はこうお話し下さいました。
「Aさんは、あなたが間違っているというジャッジをしたんだよ。真実とか真理は、善悪のジャッジをやめないと見えてこない。本当に価値のあるもの、絶対的不動の真理は善悪の中にはないんです。やさぐれ人格は頭は悪くない、感性の豊かな子、素直な子、賢い子が多いです。あなたは、親や他の人にされてきたジャッジを、周りの人にいま同じことをしているんですよ」この時私は、ずっと欲しかった答えを伊藤先生が下さったと感じ、嬉しさと感動で涙が溢れました。また先生は、
「ここに居たければ好きなだけいて良いし、よそが良いと思えばよそに行けば良いし、あなたの好きなようにすれば良いですよ」と仰って下さり、私は自由で居て良いんだと、とても安心した中で自分の事を見つめ続けました。
その後、準備が整った私は遂に、Aさんのセッションを受けることになりました。セッションでの私の質問に対するAさんの答えは、いっけん的を得ているようでいて良く分からず、何ひとつ私にとって「なるほど」と感じるものはなかったのです。
その後、Aさんのもとを離れた私は、伊藤先生のもとで自分を見つめ続けました。
先生はいつも、目を背けたくなる様なカルマでも私が理解し納得する言葉で伝えて下さり、また、私が努力している事や成長した部分は、そのままを見て下さいます。
学ぶ年月の中で私にとって先生は、この方こそが本物なんだ、この先生しかいないと、心から信頼し尊敬する存在になっていきました。
私の中の人格達は今でもまだまだ未熟者ばかりですが、5年前を振り返って思うと、とても成長したと感じています。
現在私は、先生に教えて頂きながら、子供達との関係性に向き合っています。親としての今までの私自身の在り方を反省し、言動をもって子供達に伝えながらコミュニケーションを重ねる中で、関係性が大きく変化していることを感じています。
これからも私は、親としての努力を続けていきたいと思っています。
二村 麻穂