FC2ブログ

トップページへ

親の役割 VOL.2 ・・ by 泉

子供の人生の“追い風”になる

こんにちは、泉です。
前回の記事(親の役割 VOL.1)では、コース生の彩さんが、子育てのなかで娘さんと自分を同一化してきてしまった自分の在り方について、先生にご相談した事をお伝えました。今日は、そこからさらに先生がお話し下さって、私の心の真ん中に強く響いたことを書いていきたいと思います。

先生は彩さんに、「子供に色々な経験をさせて子供の可能性を引き出してあげたいと、そこで止まっておけばいい。そこにブレーキがきかずに『自分のリベンジのために』 という余計な想いを乗せてしまうから、あなたは過干渉になっているんだよね。そこを自分でコントロールしていくことが、あなた自身が人として親として成長していくことだし、娘の人生が本当に輝く方向に向かうように、背中を押してあげることになる」 と仰って、彩さんは先生をじっと見つめながら、全身でこのお話しを受け止めていました。

続けて先生が、彩さんを諭すように仰ったことは、私自身も親として本当にこう在りたいと心に刻まれるお話しでした。

「親というのは本来、追い風になるべき存在なんですよね。子供の人生の前に立って、誘導しちゃだめなのね。子供が自然と自分の道を歩んでいく『後ろ』にいるべきなのよ。お金を出したり、習い事をさせたりしてそこに可能性という名の道を作ったとしても、どの道を行くかは子供が決めることだから。もちろん、出来ないことが出来るようになるまで、手取り足取り子供に寄り添うことは大事だけれど、ある時点でパッと手を離してやる。子供が自分の意思で方向性を決めた時に、後ろから行っておいでと言ってやれる、その立ち位置を意識しないとね」

親が、子供の追い風になる。この言葉を伺った時、私には衝撃が走りました。
彩さんも他の参加者も、深く聞き入り大きく頷く姿が見られました。

私はこれまで子供にとっての応援団でいたいといつも思って来ましたが、追い風になる、ということは、ただ後ろで温かく見守るだけでなく、子供が道を決めた時にどっしりと後ろに立ち背中を押すという、より強く腹が据わった親のイメージが湧きました。残りの子育て期間はずっと、子供たちの人生の追い風になれる親でありたい、そう思ったのです。
  
  DSC_0392.jpg

こちらは、昨年の小学校の運動会での娘です。

私は、長女が生まれた9年前に伊藤先生から「子供は親の所有物ではなく、預かりものです」と教えて頂いたことを、常に頭の片隅に置きながら子育てをして来ました。
その後、子育てには何度も何度も行き詰まって来ましたが、その度に子供に対して「この子は預かりものなんだ」と思うことで、気持ちがすっと楽になったり肩の力が抜けたりして、とても救われる思いをして来た実感があります。

ですが私の親との関係や、精神科医として患者さんと関わる中では、親が良かれと思っていても、結果的に本人の気持ちを無視する事になっていたり、親の願望や叶わなかった夢を託してレールを敷いてしまう事がとても多いと感じてきました。
本当は、子供には子供の意思があり、好き嫌いがあり、向き不向きもあり、人生の選択肢があること、親の立ち位置は「後ろ」であることを、忘れてはいけないのだと思います。

「子供を預かりものとして育てる」こと、「子供の人生の追い風になる」こと。先生が教えて下さる親の在り方を思うと、私はあまりに未熟です。でも、一ミリずつでもそんな姿に近付けるように、これからも学びを続けていこうと思っています。

このように伊藤先生は、親子関係や子育てに関して、様々な角度から本当にたくさんの事をご指導下さいます。私自身が、壁にぶつかった時にご指導を頂きながら乗り越えてきたエピソードも交えて、今後もこちらで紹介させて頂きたいと思っています。

佐藤 泉
by 泉 | Comments(-)

親の役割 VOL.1 ・・ by 泉

“経験”というギフト

こんにちは、泉です。梅雨入りが宣言されましたね。
新型コロナウイルスの影響による様々な現実に向き合っている最中にも、季節は確実に巡っていくことを感じています。

今日は、子育てについての話題をご紹介したいと思います。
現在私は母親になって9年目ですが、長女が生まれた頃は、娘の事が可愛いと思えない事があったり、どう接したらよいのか全く分からなくて悩んだりと、壁にぶつかることの連続でした。
その都度、伊藤先生に子育てについての様々な質問をさせて頂いて、先生は様々な角度から、親子関係についてたくさんのご指導を下さって来ました。
そのお陰で現在では、母親としてずいぶんたくましく成長させて頂きました。もちろん今も試行錯誤の毎日なのですが、子供達から与えられる喜びの大きさに、日々支えられています。

先月の伊藤先生のグループセッションでは、コース生の「彩さん」が中学生の娘さんについてご相談をしました。そこで先生がご指導されたことがとても強く私の心に残っており、そのことについて、ご紹介したいと思います。

彩さんは、中学生になる娘さんと旦那さんとの3人暮らしです。
彩さんは以前、旦那さんの言動にどうしてもイラっとしてしまい、不満を爆発させることが止められない事に悩んでいましたが、先生はそんな彩さんに、問題は相手ではなく彩さん自身にあるということをご指摘され、彩さんはそこから時間をかけて自分に向き合ってきました。
彩さんは、自分の問題を棚上げして相手を責めていた自分の悪妻ぶりを直視することで、それでもずっと共にいてくれた旦那さんへの感謝や愛情が湧いて、大きく意識が変わりました。そして、旦那さんに対して心から謝罪をし、夫婦でお互いの本心を伝えあうような、今までにない温かい気持ちを育める関係性に、変容を遂げてきました。

そんな彩さんは、中学生の娘さんととても仲良しです。ですが、そろそろ娘さんが親離れしていく時期に入っているにも関わらず、一向に子離れが出来ない、という新たな課題が浮上しています。子供に依存してしまう自分の在り方を変えたいと、先生にご相談しながら努力している最中です。

彩さんはグループセッションのなかで、娘さんと自分自身を同一化してしまいがちだという事を先生にお伝えしました。そして娘さんの習い事に関して、その傾向が如実に表れていたのです。

「娘には、小さい頃から様々な習い事をさせて来ました。娘が何かを達成すると、あたかも自分自身が達成したかのような感覚になっていたんです」と話す彩さん。
彩さん自身は3月生まれだったこともあり、幼少期は周囲に付いていくのに必死だったため、自己卑下のパターンを大きく抱えている背景があります。そんな彩さんが娘さんを育てる中での感覚を、更に先生にこうお伝えしました。
「自分がやり遂げられなかったことを、娘の人生に乗せてやり直している感覚があるんです。娘が皆に置いていかれないように、困らないようにという思いが強くありました」

それを聞いた伊藤先生は、彩さんにこのようにお話されました。

「子供に可能性を与えるという意味では、行為として悪いことではないですが、問題はそこにある『想い』ですね。親のリベンジのために、子供の人生があるわけがないのです。
もし私に子供がいてお金があったら、きっと色々なことをやらせると思いますし、子供が欲しがる物は出来るだけ与えたい。なぜかというと、その子が何にときめくのか、何が得意なのかを、親として見極めたいからです。
習い事についても同じで、本人が興味を持てば触れさせてやりたいですし、やり始めてから不向きだったことがわかる場合もあるでしょうから、とにかく色々な事を体験させますね」


私も以前に、娘の習い事について先生から教えていただいた事があったので、娘が興味を持ち意欲がある事には、可能な限りチャレンジさせてきました。そのなかで今も続いている習い事はたった1つですが、本人が納得して自然と続いている様子を見守っています。

私は、先生からこのように教えていただく前は、「習い事は続けることが大切」という一般的な考えに疑問を持ちませんでした。でも今では、娘が本当に好きで続けたいと思うことは自然と続いていると感じますし、もし私が親として無理強いをしてしまっていたら、こうはならなかったと感じています。そんな実感の中で彩さんへの先生のご指導をお聞きした私は改めて、これからも親として、子供達に色々な経験を与えてあげたいし触れさせてあげたいと、強く思いました。

続けて伊藤先生は、親としての大切な在り方について、お話をして下さいました。私はそのお話を伺い、残りの人生において子育てにおける座右の銘にしようと心に決めたのです。

そのお話の内容については、次の記事でご紹介したいと思います。

  IMG_1524(1).jpg

我が家の娘のお稽古バッグです。ピアノの楽譜、歌の楽譜、英会話テキストなど、その時々で様々な教材が入っていました。

佐藤 泉
by 泉 | Comments(-)

衝撃の初セッション VOL.2 ・・ by 泉

開かれた心の扉

こんにちは、泉です。
私の住んでいる地域では、新型コロナウイルスの影響により休校していた小学校が先週から再開しました。娘は久しぶりの友達との時間がとても楽しい様子で元気に学校に通っており、その姿を見ると、親としてほっとする思いです。
ゆっくりと日常が戻りつつあるとはいえ、今回の件がもたらした変化や影響はとても大きく、以前の記事(「今までとは違う春」)でも書きましたように、改めて、地球や動物たちの事を考え、一人ひとりの意識や生活を見直していく必要性を感じています。

今日は、私が27歳だった2006年に伊藤先生に初めてお会いし、セッションを受けさせていただいた話(「衝撃の初セッション VOL.1」)の続きをお伝えしたいと思います。

伊藤先生は初対面で、当時の私の核心の問題、頑固で勝気な面があること、自分自身が楽しむことを許しておらず抑圧が強いことなどについて、短時間の会話の中で見抜かれました。
これらのパターンによって当時の私は被害者意識に陥りやすく、また、自分自身に許していない事を平然とやってのける人を見ると憎しみが沸き、心の中で相手に攻撃性を向けてしまうため、人間関係の中で葛藤を抱きやすかったのです。

私自身が楽しむことを許せなかったエピソードとして、精神科医として勤務を始めた頃が浮かびます。
私は医師3年目から精神科医となり、精神科病棟の勤務となりました。
長期間入院している患者さん達の人生をカルテで読み、本人と話し、病棟内での生活を知っていった私は、衝撃を受けました。
患者さんの中には、長年ずっと病院内での生活を余儀なくされている方や、家族との関係性が悪く、外出外泊をする機会がない方もいらっしゃいました。
当時の私は、私の全く知らないところで、自由のない生活を送る方達がいるのだということに、申し訳ない気持ちでいっぱいになったのです。

それから私は、仕事終わりのプライベートな時間でも「自分は恵まれすぎている。不公平だし、贅沢などしてはいけない、罰が当たる」という思いが沸いてきて、生活に必要な用事以外は出来るだけ寄り道をせずに帰宅するようになりました。
また休日であっても、気分転換のショッピングなどでさえ「なぜ患者さん達がずっと病院で過ごさなくてはいけないのに、私は自由に社会生活が出来るのだろう」と感じ、「私を知っている誰かに見られたらきっと、不謹慎だと思われるに違いない」という人の目線も気になって、次第に我慢し、外出を控えるようになっていきました。
いま振り返るととても極端な考え方ですし半ば妄想的だとさえ思いますが、当時の私は真剣でした。このようなルールに基づいて生活をしていた私は、当然ながらストレスをため込む一方でした。

そんなパターンを抱えていた私に伊藤先生は、自分を喜ばせることが足りていないこと、自分自身を満たすことはとても大切であること、また目標や理想が高すぎると辛くなってしまうことなどを伝えて下さったのです。
お話をお聞きしながら私は、心の武装体制が解除されて緩んでいく感覚を、全身で感じました。

また先生は私に、「人は基本的に“我がまま”で良い、自分らしく生きて良いのですよ。真面目に生きることも大切だけど、人には、楽しむこと、遊ぶことも必要。そのバランスによって良い仕事が出来るものです。人生とは、経験をして学び成長するためのものですから、失敗だってしても良いのですよ」と教えて下さったのです。
そして、自己表現することの大切さや、信じるものや価値観は生きていく中で変わっていっても良いことなど、それまでの私の人生にはなかった新しい考え方を次々にお話下さいました。

それは、私がさまざまなルールで自分自身をガチガチに縛り付けていることを自覚すると同時に、頑なだった心の扉が開かれた瞬間でした。

 海

このようにして先生の初セッションは、葛藤の泥沼で立ち尽くして先が見えなかった当時の私が、自分らしく人生を生きるための一筋の光を見出した日となりました。
「こうしなければならない」という思い込みの中に欲求を押し込めて、気付かないようにしていた心が解放され、これまでとは全く違う晴れ晴れとした気持ちになっていました。

セッションを受ける前は、眉間にギュッとしわを寄せて足元を見つめながら歩いていた私でしたが、帰り道では、あえて遠回りをして東京タワーが良く見える道を選び、心が解放されていくのを感じながら、上を向き、ゆっくりと歩いて帰ったのを覚えています。

それからの私は、以前とは打って変わって、「あれがしたい、これがしたい、あれもやって良いし、これもやって良いんだ。せっかくの人生だから、やりたい事をやろう!」と、堰を切ったかのように、やりたい事が次々と心から溢れ出していきました。
許可を出していなかっただけで、私の心の中には当然、欲求が存在していたのです。

ここから私は、それまで長年抑圧していた「欲求」という心の波に飲み込まれていくかのように、人生が大きく動き出しました。抑圧が強かった分、その荒波に時に翻弄されることにもなるのですが、この続きはまた、こちらのブログでお伝えしていきたいと思います。

 佐藤 泉
by 泉 | Comments(-)

私のなかの太陽・・by 太田

チャイルドケア奮闘記

こんにちは、コース生の太田です。
5月に入ってから急に気温が上がり、暑さを感じるようになったと思ったら、急に寒くなったりして、4月同様なかなか天候が定まらない日が続いています。
また新型コロナの影響でも出かけることがままならない日も続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

今回は私のチャイルドケアについてお伝えしたいと思います。
私のチャイルドの「ちい」(3-4才)は今では天真爛漫で、思ったことをストレートに言ったり、怒ったりすねたり笑ったりと表情豊かに見せてくれる可愛い女の子です。
普段からこの「ちい」に教えてもらうことがとても多く、私にとって本当に大切な存在になっています。

「ちい」は10年近く前、当時伊藤先生が主催されていた2daysセミナー内の、誘導瞑想で初めて会った時は、牢の中で人形のような、感情も身体も何も動かない状態で私の前に現れました。
古いテレビの前で動かない彼女を連れ出し、今まで放置してきたことを謝るところから私のチャイルドケアはスタートしました。
セミナー内で伊藤先生からは毎日チャイルドに会いに行くことの大切さを教えていただいたのですが、当時の私は毎日がてんやわんやで、どう考えても毎日会いに行くことが無理としか感じられませんでした。
毎日会いに行くと約束しても嘘にしかならないように思え、私はこのチャイルドに「毎日は会いに来られないけれど、絶対忘れないし、助けるからね」と伝え、チャイルドケアをスタートさせたのでした。
当時、私のペースでケアを行いましたが、「ちい」は人形のような状態からは脱したものの、常に敵意に満ちた目でこちらをずっとにらんで、口をきかずに立っていたものです。

それから1年ほど過ぎて当時名古屋に住んでいた私は、一人でやることに限界を感じ、名古屋で行われていた認定ヒーラー主催の勉強会に参加するようになりました。
勉強会では皆が当たり前のようにチャイルドケアの報告をしており、チャイルドケアとは本当に目の前にいる子供に接するように、実際にお菓子を買ってあげたり、おもちゃを買ってあげたり、チャイルド人格になりきって遊んだりする必要があることや、子供の頃にやりたくて出来なかったことをすることを知りました。
それまでイメージの中だけでケアするものと思い込んでいた私は、かなりびっくりしたものです。

それからというもの、私も幼い頃の自分がかつてして欲しかったことをしてあげたり、もう一人のチャイルド人格「律」と一緒に、欲しいと私に伝えてきたぬいぐるみやクリスマスのお菓子セット、日々のおやつなどを買ったりして、チャイルドたちが喜ぶことをしたのです。

hitsuji.jpg

こちらは「ちい」にねだられて買ったぬいぐるみです。
大分汚れてしまいましたが、「ちい」はこのぬいぐるみが大のお気に入りで、とても大切にしており、今でも視界に入る事でとても安心します。

またチャイルド達のおねだりでも、無理な時はどうして無理かを話して伝え、理解してもらいながら代わりに何ができるかを模索しました。
こうして真剣に向き合うことで段々「ちい」にも変化が見られ、憎まれ口をきいてきたり、嫌だとかあれが欲しい、嬉しい楽しいなどの素直な気持ちを表現するようになっていったのです。

またある時に伊藤先生から、先生のチャイルド人格が幼稚園に通い、今は小学校に通っていると伺った時には、「ちいも幼稚園にかよいたい!」と言い出しました。
私は先生に倣ってインナーワールドの幼稚園に通わせ始めたのですが、「ちい」は幼稚園バスに嬉しそうに乗っていったり、幼稚園で教えてもらったという歌を歌ってくれたり、それはとても楽しそうでした。
それから2年ほど通った後に、「ちいはもうそつぎょう(卒園)したから、幼稚園にはいかないよ」と言い出しました。小学校は「ちいが行くとこじゃないもん」といって、ずっと私の傍にいるようになったのです。
こうして天真爛漫で、素直に色々な感情や表情を見せてくれるちいは、私がごちゃごちゃと思考に囚われているようなときでも、彼女に意識をむけるとすぐに思考の霧が晴れ、自分がどうしたいのか、どう在りたいのか、何を求めているのかハッキリさせることが出来、常に暖かい気持ちを思い出させてくれる、私の中の太陽と言うべき存在になったのでした。

この「ちい」については最近、衝撃の事実が判明したのですが、それについては次回の記事でお伝えしたいと思います。

太田 貴子
コース生 | Comments(-)

花を咲かせる・・by 谷川

精一杯の姿から

こんにちは。コース生の谷川です。
新型コロナウイルスの流行も少し落ち着きを見せてきました。まだまだ第2波に備えて油断が出来ないところではありますが、ほっとした方も多いのではないかと思います。

突然ですが、皆様は花がお好きでしょうか?
今回は、私が花を眺めながら思い出した先生の教えを皆様にシェアしたいと思います。

IMG_1734中

これは先日私が近所の生花店で買ってきた花です。私は昔から花が好きで、つい色とりどりに咲く花々に見入ってしまいます。その美しさだけではなく、精一杯生きている歓びを表現しているかのような姿に思わず感動してしまうのです。

この「精一杯」という言葉、私が今一番大事にしていることです。そのきっかけは先生がされた二つのお話でした。
一つ目は私が「美しく生きたい」という思いから、「人はどういうときに美しいのでしょうか」と質問をした時のお答えでした。
先生は、「精一杯に努力をしているときにこそ、人は輝き、感動を呼ぶものです。出来ていることが素晴らしいのでは無く、一生懸命にやっている姿にこそ人は感動する。ある意味で未熟であるからこそ美しいのです」と仰いました。私は目から鱗が落ちたような気持ちで、そのお話を聞いていました。今思い返すと、私が「未熟でもいいんだ」と思えた最初のきっかけだったように思います。

二つ目は、私が診察をするときに不安を感じることについて相談をしたときです。私は人からどう思われているかという事ばかり考えていて、診察している時もいつも「失敗するのではないか、人から批判されるのではないか」と思うと不安で仕方がありませんでした。
先生は、「あなたは、自分がどう思われるかどうかばかり考えているから不安になる。私ならば目の前にいる人に常に精一杯だから不安になどならない。相手のために最大限力を尽くしたいと精一杯やっていたら、自分の事を考える余裕なんて無い」とお話をされました。

私はその時、すぐには先生の言葉の意味が理解出来ませんでした。ですが先生の仰るとおり、「とにかく精一杯やろう、自分の評価は精一杯やりきれたかどうかで決めよう」と思い、努力を始めました。
すると段々に、先生の仰っていることが分かるようになってきたのです。相手のために可能な限り尽くそう、と思っているうちに確かに自分の事など考える余裕が無いこと、そして「最大限やっているならば、それを誰にどう思われようと気にならない。自分は精一杯やっているのだからこれが限界だし、それが私の実力だからそれでいいのだ」と思えるようになってきたのでした。人の目ばかりを気にしていた私にとってこれはとても大きな変化で、不安を感じないようになっただけで無く、精一杯やった分だけ自信が積み重なっていき、成長の土台ともなったご指導でした。

ところで、「花開く」という言葉は人にも使うことがあります。
私はこの言葉が好きで、日本人が生み出した最も素晴らしい表現の一つだと思います。精一杯な生き方こそが最も美しく、人を感動させるものだということは昔から同じなのだ、ということの証のように思います。

ちなみに、私のチャイルドである「てつ」も草花が大好きで、歩いていると二人してあちこちに咲いている花に目を奪われ足を止めてじっと見入ってしまうことがあります。

IMG_1580中

こちらはイヌフグリです。どこにでも咲いている花ですが、私は昔からこの美しい色、小さくて可憐な姿が大好きでした。私がこれだけこの花に魅入られるのもこの花が精一杯生きていて、生命力に満ちているからだ、と思うのです。

先生から教えていただいた「精一杯」という言葉は、私にとってもはや生きる指針になっていると言っても過言ではありません。日々を精一杯やりきって積み上げていった先に、いつか花を咲かせる、そんな美しい生き方をしていきたい、と思います。

谷川 徹也
コース生 | Comments(-)